曖昧に生きたい。灰色に。
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私たちから見る蟻なんて、どうなろうと気にもとめない命だけど地球からみる私たちも、いるかいないかわからない存在なのだろう。自分が誰かに思うことは、自分もそう思われている。私のいるところは、きっと津波の心配はない。この先も、経験することはないんじゃないか。でも、海の近くに住んでいるひとを知ってる。だからこの映像は他人事という気持ちで見れない。私の実家のある町は、大きな地震を知っている。これからもあるだろう。離れたから尚更、考え出すと心配がとまらない
私もみたよー。 なんだか色んな想いが込み上げるよね。 ばーちゃんはお母さんがお腹にいるとき津波から逃げるために必死に高台まで逃げたって、津波は黒いって、何もかも太刀打ちなんか無意味だって何度も聞かされたけど実感はなかった。 こんな形で、鮮明な映像で見せつけられたら嫌でも認識しちゃうよね。 別の番組で、震災の日に生まれた赤ちゃんがなにも知らずに笑ってた。 私は震災は恐怖というより、自然に、周りに生かされてる実感のほうが先だったな。 感謝しないとバチあたるな。 あの日生まれた赤ちゃんが、ただちに影響はないと繰り返された放射線によって人生を左右されませんように。
生かされてるかもしれませんね。でも亡くなったひとたちが、そうなる予定だったわけでも、心の準備があったわけでもなく、なんのための津波だったのかと。 考えても、それ自体が意味のないことかもしれないですね。ただの自然災害。その中で生きてるだけの私たち、ですかね。 亡くなる命と生まれた命と、巡っていくんでしょうね。