日付が変わったので今日、私は今の仕事を辞める。
最初はしょうがなくだった。
他に選択肢がなかったわけじゃない、でも
これが最後の、医療に関わるチャンスかなと思って選んだ歯科だった。
しがみついた場所が、今の歯医者だった。
何もわからなかった。何も知らなかった世界だった。
毎日、外国語をきいているような聞きなれない器具や治療名、
メモをとってもまったくピンとこない毎日だった。
正職員の中で、私が一番年上だった。
主任はひとつ年下だと院長に、面接のときに言われた。
私は、私が年上だとやりにくいですか?ときいた。
いや、たぶんうまくやるんじゃないかな、と院長はこたえた。
そうしなきゃいけないんだとまず思った。
指導してもらえるように、主任が教えやすいように関わらなきゃと。
そんなに心配は要らなかった。
主任とはあっさりデートできた。
少しの緊張と、女の子と遊びに行く新鮮さが楽しかった。
主任は厳しかった。でも、いつもまっすぐだった。
私は、できのいい後輩ではなかったから、すごくほめられる行動なんてなかったけど
でも、どんなにできなくても、教えてくれた。私を放り出さなかった。
私の言動が、主任の評価になってしまうと知ってから、意識が変わった。
主任のために働きたいと思った。
主任にさえ認めてもらえれば何でもできるような気がした。
誰に何を言われても、どんなにできなくても、主任がそばにいてくれたらそれで耐えられたんだと今思う。
私があの理不尽な中で耐えられたことがあったのなら、主任がいたからだ。
私が泣きたいとき、泣いてるとき、いつもそばにいてくれた。
頭をなでてくれた。
背中をなでてくれた。
笑ってみてくれていた。
私のことで、涙を流してくれた。
私の幸せをかんがえて、泣いてくれた。
私は、そんな思いにこたえていない道を選んだと、ずっと思ってる。
誰も、賛成しない道を。
それでも、私はいま、幸せだよ。
また傷ついても、傷つく今があることが幸せだよ。
想像や夢じゃない、現実に会話して、触れることができる今があることが幸せだよ。
これがどれだけ続くか、それによるってことを教えてくれたから、今は何も言うことがない。
自転車なんてもらえないよ。よかったかどうかわからないから。
3年結婚生活できたら、そのときの私が幸せだといったら、そのときお祝いしてくれませんか。
そしたら私、胸はって私は幸せだと、自信をもっていえると思うんです。
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